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葛城山 ナニコレ理不尽伝説
 今週の月曜の定休日に
工房含む 奈良町の女子7人と葛城山に行ってきました

当初はこの 休日自然に親しむツアーは みたらい渓谷に設定されてました
メンバーにファッションでなく生粋の山ガール様がいたこともありまして
(本気山登りか!!気合入れな!サバイバルナイフとか要るのか?)
とブルブルしておりました
前日になり ・・なんか気合だけではどうにもならなさそうだ
次の日うちら出勤できるのか?体力的に と全体的に怖気づき
一転してお手柔らかそうなコースに変更しました
お手柔らかそうだと判断されたのが 葛城山です
ツツジやススキが有名なこの山 なんたってロープウェイが
ありますので おそらく楽だろうと判断されました

が・・本当に楽でした

ロープウェイでなく 麓から徒歩で登れる登山道があり
せっかくだから帰りだけ 徒歩で下山しようかと話していましたら
切符売り場のおばちゃんの眼光が 我らの足元を見て
山を舐めるな色に光りました
休日に図書館に行くみたいな靴では無理だそうです
大人なんで素直に従い 往復切符1100円支払いました
片道は700円です 
けっこうするな とその瞬間思いましたが
1000円やそこらで 人々がエンヤコラと何時間もかけてのぼる山を
仙人のようにフワっと一飛びなんですから安いもんです

ちなみにロープウェイ 次の便まで1時間待ちで どうするよ・・
となってましたが
おばちゃんが どこかに電話をして臨機応変に一便出してくれました
一見ふつうのおばちゃんですが 山一番の権力者かもしれないです ありがとう

さてロープウェイ登りました
今回は のんびり山のぼりな ノリで行きましたが
実際は  のんびり  でした 山のぼり 消えた!
やまのぼり と語ったら木霊や天狗にののしられます

なんせ 時間的に 2割歩き 8割休憩  って具合でしたから
そして たいした苦労もせずに 絶景にありつけるのです
なんて葛城山は優しいのだろう


大和平野側の景色です 大和三山が島のように見えます



大阪方面を山間から見渡せる山頂です
この木の台で寝転ぶのは最高に気持ちよかったです
将来シミになるメラニンが増えたのは間違いないですけど
でもいいや


さて 山頂でダラダラして  これからどういうルートを歩こうかなと
メンバーが地図を広げて気になったのが・・

さて ここで地図の写真をUPしたいのですが
なんと愚か者の私は うっかりズボンのポケットに入れたまま
洗濯機に入れてしまったのです 哀れな地図は粉々になり
洗濯物に張り付くやっかいなゴミクズに変わり果ててましたよ
ささやかながらにけっこう堪える惨事です
 
 
なかなか日常でこれほど強く己にあきれ果てる事象はないでしょう

あ ネットで検索したら 地図でました http://www.kintetsu.co.jp/zigyou/teku2/pdf/nara15.pdfに書いてあります
 


妙齢女子7人が お!?
と気になったのは 

婿洗いの池

なんか もう絶対いわれがあってしかるべきネーミングじゃないですか
なかったら怒るレベルですよ

〜婿洗いの池 ・・
(昔 村のとある家の婿が酔っ払って帰宅途中に狐か狸に騙されて
肥溜めに落とされ そんなアホな婿を家族総出で洗ったのがこの池です)〜

とか だろう きっと!というのが 我らの予想

そして いわれのある立て看板あるだろう ちょっと見に行ってみよう
と軽い気持ちで思い立ちレッツゴーとなりました



なんか 今までのマイルドな道から急転してほっそい猟師さんがあるくような
厳しい道へ 道か? 合ってるの?と若干心配になりつつも
7人は進みました 


どういうわけか 一番図書館に行く格好(山を舐めてる格好) である
 工房兇離襯櫂爾気鵑一番サクサク山を飛ぶように歩きます
ちゃんと山に敬意を払った リュック&運動靴の私がヒイヒイ言っているのに
なんか解せないです この人は天狗の末裔ってことにしておきましょう

そうして メンバーの誰もが 心中
(もう いいよ 婿洗い・・アホ肥溜めに落ちて洗ったことでいいよ・・)
と思い始めた頃
ようやく ひっそりと淀んだため池が出現
きっとこんなところ来る人滅多にないと思われます

天狗ルポゼさんが軽快に看板がないか確認しに行ってくださいました

・・ありました いわれ!
が これ  全く想像斜め上 というか 理解不能レベルのものでした



ええと 読んでくださいましたでしょうか

要約すると
水争いをしていた村人に池の竜神が怒った(まあ ある話です)
村人 雨を降らせるためだといって祠を叩き壊し池に投げ捨てた!(ここでもう 理解不能)  
その村に婿に来た男が 祠と一緒に池に投げ込まれる(えっなんで?!)
村人その男を荒縄でゴシゴシして(だからなんで?!)
半死半生の目にあわせたという(ヒドすぎる!)

!?連発な感想が出てきてしまう理不尽極まりないいわれでした
本当になんだこれは・・
ちなみに竜神が婿を池によこせとか荒縄であらえとか
一切要求しておりません
龍神からしたら おろかな人間どもが争いをやめないので怒ったら
逆ギレされ 何故か祠を叩き壊され(よけい怒るよね)
何故かかわいそうな若者が池に放り込まれて ゴシゴシされとるわ・・何なのだ

ですよ

一番わけがわからないのは 婿ですよ
村に縁組して婿に来て さあ新しい人生が始まるぞ!と思ってたら
なんか変なテンションになってる村人に取り囲まれ
いきなり池に放り込まれて 荒縄でゴシゴシされて痛い痛い!殺されかけるんですよ
本当に理不尽極まりない なんなんでしょうか 
立て看板書いた人も不可解におもったのか(どういうわけか)と書いてますよ
本当にどういうわけでしょう

婿が悪いことをしたという記述は一切なし 
一番わけがわからなくなっているのは村人だったのかもしれません
集団ヒステリーとかそういうものでしょうか
祠たたき壊すあたりから もう狂いモードです
災害(水害でしょう)時に起きた恐慌状態なのでしょうか 恐ろしい
災害時においても こんなトチ狂ったりせず 節度ある人間でいたいものです
ああほんと 婿が悲惨です
この後村人が ちゃんと婿に謝って 心身ともにケアをしたのかが気になります
村ぐるみの犯行なので誰も裁かれず 罪の意識が薄そうな・・ 

(いや〜あんときはさ 変なテンションになっててさ・・
 まあ 水害が凄くて非常事態だったしさ まあ許せよ ごめりんこ!)
な ノリで 済ませられてたらあまりにも不憫・・

※ごめりんこ とは
関西人の一部が 大して悪くないと思ってるときに使う謝罪ワードです




まあいくら想像しても 知りようもないわけですが

人間恐いわ ・・・自分も気をつけよう と思いました


とりあえず 立て看板見に来た価値ありました!想定以上の収穫です


と まあ 愉快な日帰りの旅でした

ならまち女性陣とは日常顔を合わせるとはいえ 休日に一緒に遊びに行くことは
なかったので とてもよい機会でした


が ひとつ 残念ニュースです
ついでに書くのもなんなのですが


ならまち工房兇痢.フェ ルポゼさんが今月の17日で閉店いたします

本当に残念 ガックリです


つい先ごろも 花雑貨のLitttle flowerさんも 閉店いたしました


2店舗続けての閉店です 工房業足当初からのメンバーで
本当に楽しい方達でした
非常に寂しいですが 高校の部活のノリで(やめんなよ!)と引き止められる
ものではありません  店って家賃とかかかるし・・
それぞれの人生であり 店をやめる事が単なる残念な事ではなく
お二方にとって新たな一歩であり 良いことでもあるのでしんみりせず
送り出したいと思います  

残念ですがひとつよいことが

去年絶賛していた ルポゼさんの巨峰のタルトが
一年ぶりに復活しました 秋が来たって感じです
17日までに悔いなく 食っておこうかと思います


で 2店舗去って 次の2店舗ですが もう決まりました!
早い!なんて人気なんでしょう ここの店舗
ひとつは9日にオープン予定です!
| 文六 | 09:54 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
台湾旅行記 最終会 故宮博物院

 ゴールデンウィークも終わりましたので
もう いいかげん終わらせます
何故一週間未満の旅の記録を書くのに二ヶ月以上かかるの
でしょうか・・おかしいな 不思議だな 

 

旅の記録の前に少し説明を追加しておきます
前回 国民党と民進党というワードをいきなり出してしまい
なんのことだかわからない方もおられるかも知れないので
軽く説明しときます

●国民党(中国国民党) 
 起源は、孫文らが1912年に中国大陸に樹立した
 中華民国の一党独裁政党
 しかし 毛沢東率いる共産党軍に敗れて
 1949より台湾に拠点を移動
  当初は 中国大陸支配回復を目論んでいました  
 大陸から蒋介石率いる国民党と移動してきた「外省人」と
 もその前から台湾に住んでいた「本省人」との)の対立が激化し、
 1947年大規模なデモが発生し、国民党はこれを武力鎮圧しました
 大量の犠牲者がでました(3万人ともいわれる)
  
 そして長らく国民党は一党独裁状態でした
 蒋介石が1975に死去するまで国民党の総裁で国家元首
 当初は中国大陸支配回復を目論んでましたが 
 それどころか世界での「中国」の立ち居地は
 大陸の中華人民共和国に取って代わられるし
 段々自他共に そんなのファンタジーだ・・
 と認めるところとなり 
 更にそれどころか 近年の国民党は
 中国の共産党に 台湾は中国の一部 独立しない
 と歩み寄る・・ 変われば変わるものです・・
 そういうわけで中国共産党と現在はむしろ仲良くなっております 
 蒋介石の死後 国民党もかつてのように
 あからさまに「本省人」を抑圧する事はなく 民主化が進み 
 現在いろいろあって 民進党から与党の座を奪い返している状態
 現在の総統 馬英九氏は
 中国との経済連携の強化を推し進めており
 中国からの観光客激増
 故宮博物院の現状もその影響を受けている様子


●民進党 
 長らく与党を結成することが認められていなかった台湾ですが
 蒋介石の死後 国家元首となった蒋経国(蒋介石の息子 88年に死去)
 は台湾の民主化を図り、
 1987年からは野党の結成を認め、民進党が初の野党になりました
 1994年には総統(日本で言えば総理大臣)
 の直接選挙制が敷かれるようになり
 2000年の総統選挙では国民党の分裂もあって、
 民進党の陳水扁が当選
 民進党は在野時代には台湾独立を掲げており 
 与党となった以後は若干表現は
 柔らかくなりましたがなお独立も模索 なので中国共産党は国民党推しで
 民進党が当選して緊張激化 
 ともあれこれで名実ともに大陸、台湾の独裁政党であった
 国民党は野党化し台湾の民主化が完成したのです・・が
 しかし党内や陳水扁一族のスキャンダルが露見し
 2008年の総選挙で国民党に惨敗 
 与党への再起を図っていますが 
 中国との経済関係強化に消極的な考えを示しており、
 当選すれば台中関係に影響が出ることは必須 
 それゆえか議席を逆転する
 票を集めるのは難しいようです


ああそうか! こういう事を書いててなかなか本題に入らないから
終わらないのか・・・ようやくわかりました

ですが どうにも書かなきゃすっきりしないので書いてしまいます

長いので続きはこちら

続きを読む >>
| 文六 | 08:57 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
台湾旅行記 台北

 既に五月に入ったというのに 三月に入った旅行の話を書いています
すでに季節も移り変わり ぬるい空気が我等を包んでいるというのに・・
これが遅筆というやつですね 実感しました
しかし もう ここまで書いたのだから引っ込みが付きません
読んでる人がいなかろうと無理やり書ききります

そういえば 3月に参加したこのツアー
この季節 値段が倍・・になっていまいした
シーズンオフで良かったです 十●万円なんて私には払えませんよ
円高よりよっぽどお得ですね シーズンオフって


さて 実質最終日 5日目です

バスに乗って市内観光です
まずは 台湾観光の超定番中の定番
忠烈祠に 
衛兵交代を見に行きます

Mさん曰く
台湾には徴兵制があり 男性は18歳から2年厳しい訓練を受けなければ
いけないそうです 大学進学などで後回しに出来ますが
いずれは誰もが行かねばならないそうです
厳しすぎて 徴兵後は性格が変わって帰ってくるそうです
えらい親孝行な息子になるそうです それはいいことですが
公にはされてないですが 過酷すぎて 自さ● する方もいる
のだそうです 恐ろしい・・

恥ずかしながら私 台湾に徴兵制があるなど知りませんでした
明るい南国のこの国にも そんなシビアな現実があったのです
元気で明るい台湾のおじさんたちはそんな過酷な体験をしてきたのか・・
トラウマとか微塵も感じさせないあっけらかんとした笑顔が凄いです


前に 台湾は暮らしやすそうでいいな と書きましたが
これはちょっと・・ 日本で良かったかもしれないです

さて 交代式の衛兵さん達は
徴兵された市民ではなく そういう学校を出た 
職業軍人の方で このいわば 台湾の顔であるこの場所に居られる
方々はエリートだそうです
Mさん曰く  我慢強い軍人の中から 
より一層 我慢強い人が選抜されているそうです

一体ここで何をそんなに我慢しなければいけないのでしょうか?


Mさん曰く
交代式は毎時丁度に朝から夕方まで毎日行われ
大門と大殿の守護を担当する衛兵は その間
まばたきもあまりするな!(ひどい) と言われるほど微動だにせず
交代時の行進は
昔はフツウのペースで5分くらいでザッザッとしていたのですが
観光名所になってしまったものだかから 人々に魅せるためにスロー且つ
実務にはいらんであろう銃剣での演舞を入れたり サービス満点になったそうです
5分で出来ることを30分かけるのです
一糸乱れぬ行進をゆっくりやる・・これは しんどい 
これが毎時 毎時間・・ 
私だったら 「何だコレ!やってらんねえ!!」と逃走してしまいますよ
凄いな 我慢強い男達は


さて忠烈祠到着前
Mさんが私達に注意事項があるそうです

「みんな 衛兵さん達に触っちゃ駄目よ
 あ そんなことするわけないって顔してるけど
 Mのツアーの日本人のオバちゃんたち 衛兵さん 虫が寄っても
 汗が流れて動けないの見てられなくって
 衛兵さんの汗拭きに行っちゃう とんでもないね
 後でM またお前のツアーの客かっ!て怒られる 絶対やめてね」


そんな・・ とんでもないおばちゃんがおったのか・・・
情が深いのはわかるがしかし とんでもないな!


「みんな 交代式は厳粛なセレモニーね 身なりに注意
スリッパ駄目ね スリッパはいてる人は入れないよ
スリッパ履いている人いたら 手を挙げて
M いろんな色のマジックペン持ってるから かかとに紐書いて
あげるよ あ 笑ってるけど ホントに書くよ
かかとに紐があるスリッパはOKね
入り口の係りのおじさん 笑って通してくれるよ」


スリッパとは ミュールやつっかけの事でしょう 下駄も駄目ですね
しかし ここは厳しいのだか緩いのだかどちらなんでしょうか
そんな瞼に目を書く的な手法で おじさんもそれでいいんだ・・


さて忠烈祠につくと凄い人です
毎時やってるにもかかわらず
撮影ポイント確保が難しいです


交代前の衛兵さんが 本当に微動だせずに立っています
観光客の喧騒にも眉ひとつ動かしません


もし くしゃみとか出そうになってら とか
おなかが痛くなったらどうするんだ とか 考えていたら始まりました


厳粛な面持ちで衛兵さん達が行進を始めました
ワイワイ言ってた観光客達も自然に黙りました



凛々しく 門をスタートし

この建物に入って交代をし

門に再び戻っていきました

とてもじゃないですけど 衛兵さん達を触りにける雰囲気はないですよ
この空気を打ち破って触りに言った 日本のおばちゃんの肝 凄い・・

 

これ 毎日一時間に一回交代時にやってるのか・・
やっぱ心身ともに鍛え上げられたエリートは凄いです


私だったらやっぱり
「ああもう! こんなミーハー観光客どもほっとこうよ!
かかとに何か書いてるふざけたのも居るし!
 さっさと済ませましょうよ 大体 行って帰ってに30分
 かけるって つまりは30分 門ガラ空きじゃん
 守りとしてどうなのよこれは」
とか キレて言い出して
上官に うるさいんじゃ! と殴られるだろうと思います

 

さて 次は
中正紀念堂です
蒋介石逝去後に建造された蒋介石を称える建物です
2007年民進党政権時代に‘国立台湾民主紀念館’に改名されましたが、
再び国民党が政権与党に返り咲き2009年‘中正紀念堂’に戻されました
いろいろややこしいです

着いてみると なんとも壮大!
遠近感がよくわからなくなります
敷地面積も相当広いです 
まるでタージマハルです
見たことないけど

中に入って 石材とかペタペタ触りましたが
いいもの使ってますよ 総工費凄そうです
中に入ると 各言語のパンフレットがいただけます
なんか ポップなノリの表紙です

え アイ ラブ CKS って・・・!しょうかいせき?
そんなI LOVE NYみたいなノリで!?

どんなファンキーな説明がしてあるかと期待しましたが
ふつうに真面目でした・・なんだ 

この建物 ただ壮大さで蒋介石がどんだけ偉かったか誇示している
だけではなく
その構造やら全体の配色にまで
中華民国 台湾の思想を表現しているのです

瑠璃色の屋根と白い大理石の外壁は
中華民国の国章である「青天白日」を表していて
花壇も含めた配色で
「自由、平等、博愛」を象徴する「青天白日満地紅」
をあらわしているそうです
そのほか 階段や屋根の形にいろいろ思想が込められているのです

ここでも衛兵さんの交代式がありました


此処の衛兵さんはどうやら 
我慢強い選抜の他にも 顔選抜 も潜り抜けて来たようで・・
なかなか男前揃いでございました

台湾においての蒋介石の存在の大きさがどれだけ
凄いか 未来永劫知らしめるためのモニュメントなのでしょう

一人の生身の権力者がここまで国を挙げて神格化されるって
天皇陛下ですら 戦後 現人神になった日本人から見ると
なんとも言葉にし難い驚き そう 簡単に言ってしまえば
カルチャーショックです


ですが蒋介石に対して台湾の方々が皆
このとんでもなく壮大な建物に見あ合うような
敬愛やら尊敬を抱いているかというと そうでもないようで


Mさん曰く
「蒋介石が亡くなった時 M小学2年生だったね
 学校の先生 皆に 泣け!と命令したね
 ちゃんと涙出るまで許さない
 だけどM   ちっとも悲しくないから泣けないね
 Mが泣くときは両親が死んだときだけ 
 あとは絶対泣かない
 先生 Mを泣かせるために後頭部を鉄の棒で殴ったね
 血が流れたね
 だけどMは絶対泣かない
 かわりに 周りの友達が Mちゃん泣いてよ〜って
 泣いてたね」

笑っていいのかわからないオチが付いた話されました
!!しょ 小学生の頭殴るなんて・・ありえないですよ
これは●朝鮮の話ではないですよ
30年ほど前の 蒋介石が権力を握っていた時代の近代
のお話です
それにしてもMさん
小学生のときからなんか凄かったんですね
こんな確とした己を持つ小学生 矜持というのでしょうか
こんな凄い小学二年生 
はだしのゲンの元か 
楳図かずおの漂流教室の主人公の小学生男子 
くらいしか他に居ませんよ・・

今の台湾は自由な明るい気風で
何も知らない私は もともとそういう国だったのだと
勘違いしてしまいそうです しかし

Mさん曰く 自由に物が言えるようになったのは
ここ15年くらいだそうで
ちょっと前では 映画館に行くと
上映前に 国歌が流れ 皆 ピシッと起立してた
そうです 外国人は 何何?!と驚いていたそうです


しかし自由に物が言えるようになったからって
Mさんは自由に物を言いすぎなような気がしますが・・
この方  強烈な民進党支持者です
子供の時に流血するまで殴られたらそりゃあ国民党に
対する怒りは深いと思います
随所で国民党に憤っておりました
Mさんの話は面白いのですが 
この人 国民党に目をつけられないか心配です


長くなったので この辺にしときます
まだ終わらなかった・・
 次こそ最終回目指します 確約はできませんけど
 

| 文六 | 09:06 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
台湾旅行記 

 たかだか五泊六日の旅の記録なのに 
旅行から帰ってきてもはや一ヶ月以上も経つというのに
 まだ書き終えてないというのは
ヒトとしてどうだろうかと自分でも思うんですが・・
まあ しょうがないです 続き書きます

4日目 太魯閣(タロコ)渓谷へ

Mさん曰く
太魯閣は全部が大理石で出来ている山だそうです
山全部!なので 採掘しても採掘しても当分採り尽くす心配はなく
なんか凄い単位でした 100年とかではなく・・ええと
どんだけだっけ?・・私の頭の中のケシゴムがいろいろ記憶を
抹消し始めているので定かな事が言えなくなって来ました


まあそういうわけで 大理石の山でして
且つ 大理石と一緒に ヒスイやキャッツアイなどの石が採れます
宝の山です 羨ましい事です


周辺には大理石採石業者さんが沢山在り
その中の 宝石販売店さんの中でお昼ご飯を食べました


その店のオーナーのおじさんは親の代から採石業もやっている方で
これまた親日の方でありました
日本語結構話せます 積極的に日本人と会話をしてくださります


何故か 我々は
「大丈夫ですか どこか具合が悪い?」
と心配されてしましました え?え?何処も悪くないですけど?


・・ツアーでダントツに若い人にもかかわらず
私達の通常モードの様相は
向こうの国では えらいダウナーな感じに見えるらしいです
なんともやは 情けないことです 無意味に心配させてしまいました
努めて快活にしなければ向こうのフツウの人になれないらしいです
私達は・・

さて ここは宝石店でして まあこういうツアーですから
日本人に外貨を落としてもらうために組み込まれているんだろうなあ
と思ったのですが


Mさん曰く
「大丈夫 別にそんな高い宝石買わせたりしない 見るだけでいいよ
オーナーのおじさんもわかってる 日本人と話せるのが楽しいからいいよ
台湾人わかってる 日本人もうそんなにお金持って無い
買い物しない
15年くらい前から中国人のほうが凄い買う もう凄い金持ね
日本人どれにしようか選んでるの 全部横から持って行くね」


・・とのこと
よくわかっていらっしゃる そうですよ 
日本人の庶民なんてたかが知れてますよ えらい理解があります
ありがたいやら でもなんとなく情けないやら・・
台湾では宝石が安いのですが それでも宝石は宝石ですからね
日本人の庶民が(あ!これにしよ〜)と軽くポンと買えるものでは無いです
中国人のがよっぽど買いっぷりの良い上客であるにも関わらず
財布の紐が堅く堅く結ばれた日本人に親切にもしてくださるとはありがたい事です

宝石の真贋見分け方講習もしてくださいました
ヒスイに髪の毛をぴっちり巻いて ライターで火をつけて
髪の毛が燃えなかったら ホンモノです
偽者はすぐにチリチリになります


さて ろくに高い買い物しなかった我々ですが
店の方々はバスを笑顔で見送ってくださり
バスは一路 太魯閣(タロコ)渓谷へ

 


タロコ渓谷とはタロコ(東の花蓮)から中央山脈を超えて東勢(西の台中)
に至る全長192Kmの東西横貫公路の一部です



台湾島の中央は険しい山々で形成されておりまして とても道路なんか
作れるもんじゃなかったので
島の東側から西側に行くのに ぐるっと沿岸大回りするしかなかったのです
それじゃあんまり不便なので蒋介石氏が退役軍人と先住民を一日6000人を
投入して過酷な工事を力技で4年間で済まし どうにか貫通させたのが
東西横貫公路なのです


Mさん曰く

 
この工事はものすごく過酷だったそうです 
50年前ですから なんと つるはしと手でガリガリ削っていたそうです
先住民の方々が手弁当で召集されて酷使されていたのです
退役軍人は指揮役だったそうです

 
絶壁に工事で亡くなった人を祀っている長春祠と祠があります
工事中に亡くなった212名もの人たちの霊を慰めるために
1958年に建てられましたが
その212人は軍人のみで先住民の方々は入ってないそうです


祀られることも数字に入れられることすらもされていない
先住民の方々の犠牲の上に 
我々は観光バスに乗って旅をしているのです



小さく見えるのが長春祠 えらい絶壁に建ってます
土砂崩れで崩壊したこともあるそうです 無理も無いと
思いました



パネル展示してあった道路工事の歴史
言葉はわかりませんが この白黒写真で
工事のすさまじさはわかります・・


さて この渓谷 多くの犠牲の上でも頑張って完成させただけあって
ダイナミックで美しいです 
前日の雨のせいで我々が見たのは茶色い濁流でしたが
普段渓谷に流れる川の水は澄んだブルーです
大理石の成分かなんかでそういう色になるのです
まあ 濁流も迫力があって良いです


さて いつにもましてMさんとバスの運転手さんは
タイムスケジュールに気を使っています


なぜかといいますと
この道路 先年の台風?か地震?の影響で(頭の中のケシゴムが・・)
大いに崩落した箇所があり ここ数年とこれからの数年
絶賛工事中なのです
立ち入り禁止にして一気に工事をしたら早く完成しますが
ここは人気の観光地ですのでそんな事出来るわけもなく
無理やりな感じですが 工事中しながら 30分に一度5分だけ観光バスを
通せるようにしているそうです
工事の作業員さんも 相当めんどくさいと思います お疲れ様です
そんなわけで その30分に一度のチャンスを逃すと 
スケジュールの全てが狂うとMさんとバスの運転手さんは必死なのです


というわけで タロコ渓谷は凄く見ごたえのある観光地ですが
凄く行きにくいわけです


今回はツアーで駆け足でゆっくり見れず
また来たい と思ったのですが
道路工事が終わる数年後が良いそうです


30分に一度開かれる天岩戸ゲートには日中のバスがずらりと並んでいました
無事ゲートを通過して 燕子口等の絶景スポットに行きました
本当に凄く迫力がありましたが なるほど景勝地です
絶壁の切立ち角度がえげつないですし 大理石の岩盤ゆえ 
その岩肌もなんか高級感があるような・・


私のカメラの腕では万分の一もその景観のダイナミックさを写すことが
できませんし 時間もないのに写真撮るのにワタワタしているのが
非常に勿体無く 早々にカメラはもう放棄して 
自分の目に焼き付けることに専念いたしました
どんな綺麗に写った写真でも こういう処では実物にかなう事は
ないと思われます
そういうわけで 写真一切なし! すみません


景観も良かったのですが 我々の通ったトンネルは
50年前の労働者の労苦を忍ばせる
ツルハシの掘削で出来ており
一撃一撃の彫り跡に なんともいえない重さを感じました


帰りも30分に一度の通過ですので
あわただしく バスはタロコを去っていきました



台湾は地理的に甚大な台風の被害を受けることがよくあるようで
Mさんが恐ろしいことを仰ってました



「〜年前の台風凄かったね
台湾の山の中を走っていた観光バス一台丸ごと消えたね
残骸も何も残ってない 何があったのかどこにあるのか今もわからない」


なんとなく 私はバミューダ海域・・とか考えてしまいました
もしかしたら異次元で皆無事に生きてらっしゃるかもしれない・・



さて バスは花蓮駅に到着です
ここからは特急?電車で移動です
今までずっと やたらに揺れるバスに乗っていたので
電車の中は快適でした 揺れない幸せを感じました

2時間15分で 瑞芳 という駅に到着です

 


瑞芳からバスで 九フン に到着です

こちら九フンは近年非常に有名になった観光地だそうです
宮崎ハヤオ氏の「千と・・」の映画の舞台になりました
ノスタルジックな中華歓楽街の町並みが味わえます
台北も近いといえば近いので 台湾のツアーなどでは
よく組まれてますし 台湾の方々も休日に遊びに来られるようです



Mさん曰く九フンの歴史


「昔 ここには九家族しか住んでいなかったね
 生活するために 麓まで降りて 九家族分まとめて買い物に行ったね
 だから 九フン(フンは漢字で イ分 )
そんな 場所だったけれど 金が出て 鉱山で働く人集まったね
働く人が宿泊するために 飲食店や宿泊所が出来て栄えた
日本統治時代が最盛期だったね
でも戦後に金が採りつくされて閉山になってすっかり寂れていた
それから また近年 映画のロケ地になってから賑わう様になったね」


との事です 山の中をバスは登り 着いてみるとあいにくの雨
しかし 
Mさん曰く 九フンは年間200日以上が雨 という事ですから
運が悪いわけでもなくこれがフツウの天候でしょう
それにしても200日以上雨とはすごいです 且つ駅から離れた山の中
ゴールドラッシュ以前は9家族しか住んでなかったのも納得です


九フンは人で賑わっておりました
今まで行った観光地の中でも一番人が多いかも
お土産や茶店が軒を連ねておりますが
我らは時間に追われたツアー客でございますから
まさに駆け抜ける九フンです


Mさんがまたしても我々に奢ってくださいました
台湾人と日本人が共同開発したスイーツで
残念ながら頭の中のケシゴムが完全に名称を消してしまったのですが


甘すぎないお汁粉のような物で しかも中に入っている白玉団子状
のものがカラフルです 青色一号とかの色ではなくて
台湾名物の団子でして 芋とか ゴマとか あとなんだっけ・・
まあ いろいろ練りこんであるのです
日本のフツウのお汁粉より美味しかったです



こちらは昔日の面影を残す繁華街


狭い石段に風情のある商店
雨アンド階段 どうぞお年寄りは気をつけてください
そうだ 私はここでカメラをおもいっきし落下させましたが
己のうかつさを考慮して防水.耐衝撃デジカメにしておいたので
無事でした ああよかった・・


ああバスが着ますのでゆっくりもしてられず


台湾は慢性的駐車場不足でして
こんな有名な観光地でもバスを停車できるところがなく
路肩に留めていると警察とかに怒られます
少ししかとまってられないのです 大変そうです
我々が観光してる間 バスはその辺を走ってるのです
回遊魚のように マグロのように 

その一瞬の停車チャンスにあわせて我々は帰ってこなければ
いかず・・ 


バスが来たので一気に道を渡ります 丁度中国の団体客も同じ方向を
目指します なんか嫌な予感が・・・
バスに乗ると 2人ほど足りない ざわざわしました 
2人走ってきました どうやら 向こうの中国のツアーのバスに乗ってしまった
ようです・・バス発車してなくてセーフです 危なかった フ〜


その後 バスは首都の台北を目指します
日本と同じで首都にかなりの人口が集中してらっしゃいます
台北に行くに従って 道路も街並みも洗練されていきます
今まで周って来た所によく居た 
自由気ままに歩くワンコなど
とても生息している雰囲気はありません


台北で宿泊です 夜はせっかくなので 京劇など見に行き
翌日5日目は実質上最終日 です
この旅の目的ともいえる故宮博物院が待ってます 
まだ・・続く

| 文六 | 10:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
台湾旅行記 東海岸 花蓮

 台湾の旅 東海岸から花蓮です
今回は
仙人たちの海岸残酷恋物語と
人外を巻き込んだ台湾の親日ぶりが炸裂します
前回 あまりに話が進まず
民放のバラエティ番組のように姑息に引っ張った挙句
この話は次回で!になってしまい本当にすみません

さて 今回こそサクサク進めます

まず

三仙台
中華の道教の神様には八仙人という方たちが居ます


李鉄拐(りてっかい)
漢鍾離(かんしょうり)または鍾離権(しょうりけん)
呂洞賓(りょどうひん)
藍采和(らんさいわ)
韓湘子(かんしょうし)
何仙姑(かせんこ)
張果老(ちょうかろう)
曹国舅(そうこっきゅう

この仙人様たち 何を思ったのか 日本に渡航され
七福神になった という説があります 
仙人が海を渡るとき、呂洞賓、何仙姑、李鉄拐の三仙人が岩の上で休んだという
のが三仙台なのです

私達はツアーでチラ見しかできませんでしたが
沖合いには3つの大岩礁があり 昔は干潮時に渡って行くしかなかった
そうです 今では写真に写っている赤い橋で渡れます
私達 もちろん渡る時間なし
まあ 借景にして写真撮りました


さて 八仙人の中で
何仙姑(かせんこ)だけが女性でした
呂洞賓と李鉄拐が 何仙姑に言い寄っていましたが(仙人の癖に!)
彼女はどちらも優劣つけ難く 選びかねておりました(仙人の癖に!)

そんな眩しい青春ど真ん中の三人が(仙人の癖に!)
砂浜で波に戯れてキャッキャと遊び 
「・・明日は出航だな」 「そうね この国ともお別れね」
「日本で 俺達にどんな未来が待っているんだろうな
 日本についたら 
 いい加減俺達のどちらが良いのかはっきりさせてくれよ何仙姑」
と言ってたであろう(仙人の癖に!)・・ 海岸です 

そう考えたら この海岸 なんとなくサザンのチャコの海岸物語とか
潮に乗って聞こえてきそうな気がしませんか・・しませんね  
 
 
そんな 仙人の癖に!連発の三仙台を出発して
バスで少々 八仙洞に到着です
ここで その三角関係の終末が迎えられたのです
我々の想像斜め上の結末で!!・・

その前八仙洞に着く前に バスの中でMさん曰く

「八仙台に 日本人観光客だけを案内する犬が居るね
ここ交通量多くて危ない 日本人のバスが到着すると
犬が出てきて守るように先導してくれる
スピード出して危ない車があったら 犬 怒って追いかけるね
誰も教えてないのに その犬自然にそうするようになった
ほんと日本人のバスだけ 中国人のバスの時出てこない
何故わかるのか不思議ね 地元の新聞にも載ったね」

とのこと 俄かには信じがたい話です
犬までが親日なのか!?
なんでそうするようになったのだとか 日本人と中国人
何故にわかるのか??とかいろいろ不思議すぎますが

Mさん曰く
「霊性の高い犬」
でなんとか 無理やり納得 
霊性が高い・・総てを凌駕する響きです

で ほんとかよ と思ったのですが バスが到着したら
本当に犬が出てきました!!! 茶色の中型犬(メス)です
もう一匹(匹とか言って良いのかな・・霊性高いのに)
一回り小さい彼女の息子も母親の使命をついで一緒に先導して
くださいました 頼もしいことです
不思議はおいといてなんだか嬉しいものです
(餌くれワンワン)というご様子でもなく 案内したら
また何処ともなく消えていかれました
ビーフジャーキーとか用意しとけば良かった

時間なかったので写真撮ってなかったのです 無念・・
母犬は子犬の時代から この不思議な行動をとっているとのこと
ここは 人気観光スポットなのでかなり多忙なはず
いろいろ不思議過ぎますが ありがたいから 
もう詮索するのはやめました お疲れ様です

さて 八仙洞
ここは太古の昔に 崖に海が侵食したときに出来た洞窟で
中に祭壇が祭られておりました

中に入ると 不思議な事に洞窟の奥から ザザーンと波の音が聞こえて
来てびっくりしました 海に繋がっているのでしょうか?
Mさんに聞いたところ
道路を挟んで向こうにある海の音が 奥行きのある洞窟に反響して
スピーカーのように反響して聞こえる とのことです
理科チックな事は頭が追いつかなくてわかりませんが そうなのか
でも 本当に海が洞窟の奥にあるような感じで不思議です
そりゃあ 昔の人もびっくりして祭壇作りたくなると思います

ここは 八仙人が出航前に休んだ場所だといわれています
大小さまざまな洞穴がございます
近年は 先史時代の遺跡が発見されては国家一級古跡になっているそうです

で 八仙人 三角関係の意外な終結伝説なんですが

日本に出航する前日 
仙人たちは チャカポコチャカポコと酒盛りをしていたそうです(仙人の癖に!)
翌朝 さあ出発するか!となったのですが

三角関係の一角 呂洞賓だけが 酔いつぶれたままなかなか目覚めません
「仙人の癖にコイツ 困った奴だな全く・・」となったのですが
八仙人の誰かがとんでもないことを提言しました

「何仙姑よ おまえ どうせこれからも呂洞賓か李鉄拐か
 絶対に選べないだろう
 だったらこの際 呂洞賓を置いて日本に出航しよう」

 皆 「うん そうしよう そういう運命なんだよ」 となり
七人の仙人は 何も知らないで幸せそうに眠る呂洞賓を置いて
船に乗り東の海へと旅立ってしまったのです ・・END
 

・・・ひ・酷くないですか????(仙人の癖に仙人の癖に!!!!)


皆様 呂洞賓の身になって想像してみましょう イマジン


朝起きたら なんか静かなんですよ 


「ファーやれやれ 昨日は飲みすぎたよ おい 誰か水持ってきてくれないか?
え? おい 誰か・・誰か居ないのか?ええ?!」
まさか と思って海岸に走り出す呂洞賓
沖には・・遠い沖には 船が小さく見え・・
呆然とただ一人立ち尽くす呂洞賓
頬に涙が一本の筋を作り・・


なんだか泣けてきました 
可哀想すぎですよ 
そして 後日談がありまして
本人の本意では無いとはいえ
この地を捨てず 残った呂洞賓は台湾では人気の神さまに
なりまして 廟に祀られています


台北近郊の「指南宮」が有名だそうです
Mさん曰く
「そこにカップルで行ったら絶対に駄目 別れる事になる
呂洞賓さんが仲の良いカップル妬んでハサミで縁切るね
これ本当 そんなの迷信だと言って行ったカップル皆
別れる事になったよ」
との事

何仙姑にとんでもない振られ方をした彼は
恨みのあまりに人々に八つ当たりするようになったのです
(仙人の癖に!)
でも まあ 無理も無いと思いますよ あんまりですから


こんな恐ろしい廟 誰が行くのかといいますと
縁切り=ハサミ ということで 理髪店の方が詣でるそうです


 
さて 人間臭い仙人のしょっぱい海岸物語は終わりです
バスは一路 北上します

途中 北回帰線モニュメントがありました
ここを挟んで 熱帯と温帯に分かれるのです


見学時間5分 ということなので
ダッシュで写真を撮りました
大人になってから久々に走りました


タイトなスケジュールを掻い潜って
バスは走ります
道路を見れば 我々と同じような
日中両国のの観光バスが 一台でも多く抜かす!とレースを
繰り広げています

皆さん目的地は同じで
花蓮のアミ族の舞踊ショーに行くので
なるべく前の席を取るために
我先に走っているのです


定刻前に到着しましたが ショーの会場にはもうそこそこ
人が集まっていました

Mさん曰く
「ショーに出ている子達は アミ族の若い子達ね
高校生で 学校の帰りにここで働いているね
彼らもう子供居る 大変」

だということです・・・そりゃあ大変だ 
勤労学生です 頭が下がります
先住民族の方々は結婚年齢早いそうです

日本の統治時代に 先住民族の方々に対して
日本は酷いことをしたそうで
且つ 国交が無いので国は賠償もしてないのです
現在も 日本からお詫びの品を持って村に来られる
方々が居るそうです 知りませんでした

そういうこともあるので
日本から 花蓮に来られた方々はショーを見て
彼らに外貨を落としていく事も良いかと思います
子供の居る勤労学生の応援にもなります

先住民族はアミ族だけではなく 14の部族があります
アミ族はかなり開けたほうの部族で大都市にも拡散しており
中華の方と結婚してハーフの方も沢山いらっしゃいます
ビビアン・スーさんも先住民と中華のハーフだそうで
Mさん曰く ハーフは顔綺麗なのが多いそうです

アミ族のように開けた部族ばかりでなく
未だに電気等を使わず隔絶した世界で生活しているところや
マライヤキャリーより多い音階で歌える
天界の歌声部族とかいるそうです 

九州ほどの広さの国土に 多様な民族や文化が凝縮しているのです
なんか凄いと思いました 

さて ショーなのですが なんだかもう疲れて
全然写真を撮ってなかったのが
悔やまれます
アミ族の男女が民族衣装を着て踊ります
お客さまを迎えたときの踊り 
婚礼のときの踊り
竹竿を使った踊り
民族の踊りと関係無いんじゃ?な
青年の中で一番の金髪イケメンの一人歌謡ショー 
茶摘?おばさんの踊りみたいなのも在りましたが
中でも青年達は 側転バク転なども繰り広げてけっこう激しい踊りでした

しかし 私は踊りの間中 踊りそっちのけで気になることがひとつ・・
踊るまくる若き引き締まった肉体の青年の中に
おなか周りの肉にゆとりのある大ポチャと子ポチャが・・


(何故に彼らはこんなに毎日激しく踊っているのにポチャれるのか
 そして 何故にこんなにポチャっているのにキレのある動きが出来るのか
 ・・ああ でもサモハン キンポーも凄い動きしてたからなあ・・)

そんなことばかり 開演中1時間考えていました 申し訳ないことをしました

しかし その後の夕食のとき
同じツアー大阪のマダムが
「アミ族の踊り・・ぽっちゃりがおって気になったわ〜」 
と仰っておられたので 皆そうだったのかもしれません まあいいか
 

続く

 

 


 

| 文六 | 10:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
台湾旅行記 高雄

  
さて台湾のたび3日目 高雄から花蓮です 
今回は仙人達の残酷海岸恋物語 と
人外まで巻き込んだ親日ぷりエピソードが炸裂です

まず向うのはは澄清湖(ちょうせいこ)
蒋介石が なつかしき中国本土の西湖を模して作った
台湾の高雄市鳥松区に位置する人造湖です

向う途中 土地勘の無いバスの運転手が道を間違え
スケジュールキチキチツアーなのに痛恨の時間のロス!
しかし Mさんが 運転手さんに
「もし 昼の目的地に行く時間間に合わなかったら罰金ね」
と脅しをかけた(本気かもね)ので
バスは飛ぶようにブンブン走る 
目的地どうでもいいから生きて帰りたいと願いました


なんだかんだで公園到着
着いてみたら泊まったホテルから大して離れていない 街の公園です
大阪城公園とか そんな感じです
ただ生えている植物は 松とかではなく ガジュマルとか
日本人からしたら謎の南洋の植物です

公園から振りさけ見れば 
巨大な高雄圓山大飯店(御飯屋さんではなく迎賓館のようなホテル)が見えます
なんと壮大・・と唸ってしまいましたが


Mさん曰く
これは蒋介石と壮美齢が作ったホテルだが 台北のはこれの10倍あるとのこと
です・・凄い
中華の権力者は始皇帝の兵馬俑といい 作るものの壮大さがケタはずれです
実用もあると思いますが
「朕凄いよ」アピールの意味合いが強いと思います
アピールは確かに後世の外国人にも効いていますので 安心して眠って頂きたいです

当時の首都も台北でしたが
蒋介石の妻 壮美齢さんが こっちの高雄のほうが気に入っていたので 
公園作ったりホテル作ったり別荘を作って滞在してたそうです 
なるほど権力者

公園の中に その蒋介石の別荘があります
Mさん曰く
「蒋介石の別荘 台湾国内に沢山あって 今は一般公開されてるけど
なぜか 此処だけ今も公開されてないね 入れない きっと何か秘密あるね・・
この九曲橋には 有事の際に蒋介石達が逃げる地下の秘密通路の入り口
あるね 地下通路で港まで逃げられるように作られているね
ほら ここが入り口ね だけどおかしいね
なんでこんなフツウに見れる処に秘密通路の入り口ある?
これは たぶんフェイクね
本物はきっとあの別荘の中にあるね
あと 故宮博物院 Mは何十年前から何回も入ってるから
全部見てるんだけど 公表されてる作品点数と 
実際に博物院にある宝物の
数合ってないね 博物院の宝物少なすぎるね 
もしかしたらここに隠されているかもね!」



この橋に秘密通路の入り口階段がありました
何故に写真を撮らなかったのだ 自分よ!


とのこと 台湾丸秘ミステリー面白いのだけれど
Mさんの身が心配になってきました・・いいのかな こんなに喋って・・
ちなみに 故宮博物院 故宮といえば中国北京の紫禁城のことですが
なぜにそこにあった宝物がここ台湾にあるかと申しますと
日中戦争の時代 蒋介石率いる中華民国政府が
貴重な宝物を戦火や日本軍の略奪から守るため など等の理由で
はるばる移送させたのです で そのまま今日に至ります
蒋介石の行動 賛否両論いろいろですが 
もし そのまま中国本土にありましたら その後の文化大革命で
勢いで貴重な宝物が粉砕されていたかもしれない 
というか そうなっていた
でしょうから 私としては賛でございます


さて この公園 澄清湖
とても気持ちのよい公園で市民ランナーが走っていたりします
 一般人100元のところ 市民は無料です いいですね
台湾は食べ物は安いし 
環境も良いし けっこう住み易い国だと思います
Mさんも 台湾は 贅沢しなければ適度に働いて
普通に暮らせる国だとおっしゃっていました
に・・日本なんて シャカリキに働いても将来不安だというのに
うらやましいです


公園は広いので もちろん一部しか散策できませんでしたが
養蜂場がありました そこに従業員のおじさんが
「ここの蜂 日本人刺さない 中国人刺す!本当よ!」
となんともいえないサービストークをかましてくださいました
わ・・笑えない


(この人 ・・中国人が来たら逆のこと言ってるんじゃないか)
と 薄汚い心の私は思いましたが まあ 実際誰も刺されなかったし
Mさんも このおじさんとても親日よ! とおっしゃってたから
信じましょう


それにしてもMさんといいおじさんといい
何故にこんなに日本びいきなのか


台湾では人口の八四%が所謂「本省人」と言われる方々です
鄭成功の時代に中国大陸の福建省から渡ってきました、


一四%が「外省人」と言われる 蒋介石と共にやってきた軍人等を含む
戦後中国から渡って来た方々です


そして二%が東南アジア系の風貌をした
オランダ統治よりずっと以前から住んでいる原住民の方々です

そういうわけで 血統的には中国大陸寄りで
おまけに日本に台湾は統治されていた時代もあるわけですが
それでも 台湾の方々全員というわけではないと思いますが
親日の方が多いです

Mさん曰く
「ツアーのお客様がMに 日本が昔 台湾に酷いことをしてごめんねと
謝るけど それ間違いね そんな酷いことをしてない
学校の教科書には酷く書いてあったけれど 
実際その時代生きていたMの親は
教科書は間違っている 実際は台湾人と日本人は仲良くしてた
と教えてくれた Mの親はMとMのお兄さんに
日本人の名前で通用する名前付けるほど 日本好きだったね
戦争で日本が台湾奪ったの間違い
中国が負けて 台湾に住んでる人いるのに 勝手に日本に渡したね
戦後に来た外省人はM達「内省人」の土地奪っていった 特権階級ね 
戦争でがんばっていた初代の外省人ならわかるけど 
現在の3代目の孫達も
優遇されている 映画館とか安い そんなの許せないね 」

との事 Mさんの名前は 日本人の女性の名前でフツウにある名前です
お兄さんにいたっては 太郎 ほどではないですが モロ日本男児名でした


台湾の方に親日が多いのが なんとなくわかるような気がします
日本統治時代より 「外省人」が入ってきて幅を利かせて居た時代のほうが
我慢ならないことが沢山あったのでしょう 
まだ日本のがマシだったという事でしょう
凄い災難にあったら なんでもないような事が幸せだったと思えるような
感じでしょうか
ちなみに 台湾は現在 国際的にはひとつの国「中華民国・台湾」
とは認められてなくて 中華人民共和国の台湾省(日本で言う県)の一つ
ということになっていて でも実際は違う国だったり 
いろいろややこしいです 私にはもうよくわかりません
しかし 台湾の多くの方々は 自分たちの事を中国人ではなく
台湾人
と思って生きていらっしゃいます

しかし 理解不能なのは 
Mさんの凄すぎる親日ぶり いくら先の台湾の地震のとき日本が支援した
からといって・・日本の台湾統治時代がマシだったからといって・・


Mさんは 東北の震災のあと 学生時代の友人と一緒にボランティアに
行ってくださり そこで 「ネズミ」になってきたそうです
「ネズミ」?なんだそれは と思ったら
なんと 世界が 日本の放射能ヤバイ!外国人一斉に退去!と大騒ぎだった
というのに 
Mさん達一行は東北に入って 現地の野菜を食べまくり
病院に入院して体中を検査して どこも異常ないということを証明してきた!
そうです・・


ここまで来ると もう我々「ありがとう!!」を通り越して「ひえええ!!」です
日本人だってそこまでしてないというのに
山本太郎だってしてないと思うのに
そんな体張っていいのか?
と心配しましたが


Mさんは 「M結婚してない 家族居ないから大丈夫!Mの友達もそうよ」
とのこと Mさんは超インテリで学友は大学教授!とか凄い方ばかりで
凄いゆえか結婚せずバリバリ稼いでいる方達だそうです
「皆 お金ある 家族居ない だから大丈夫!」とのこと 
ええ?大丈夫か?そういう問題か?って感じですが 
うん まあ 本当に頭が下がるを通り越して五体当地です 


なんか まだ湖しか書いてないのにこんなに長くなってしまいました
どうなんだろうこのペースは・・と思いますが気にしたら進めないので
行っちゃいます

続いて台湾の最南端に達してぐるっと日本側の沿岸沿いをバスは走ります
うっかり最後部座席アンドなんか椅子のネジがゆるかったみたいで
遊園地のアトラクションに乗ってるが如くゴウンゴウン揺れます
つまり何時間かずっとアトラクション状態 天井に頭を打つ始末
それでも 外国のバスだからこんなもんかと暢気に思っており
席の異常に気が付いたのは全てが終わった後でした・・

そういうわけで ツアーでもっとも若いメンバーであるはずなのに
脳がシェイクされてすっかりぐったりで
三仙台に到着です

Mさん曰く
この国には八仙人がいて 船に乗って日本に渡り七福神になったそうです

なんと!!全然知らなかったです トリビアです!!
後日 調べてみたら 七福神の起源は中華の八仙人であるという説がありました
いろんな説があるようですが驚きです

で まてよ なんか数減ってるんですけど・・
一人減った理由には あまりにむごい色恋沙汰事情がありまして・・

というところで続きます すみません 今度こそペースアップします

| 文六 | 10:27 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
台湾旅行記 台南 高雄


今回は 台湾の英雄 鄭成功がらみの土地登場です
意外な日本とのかかわりもあります


さて 日月を出発した後は バスで一路台南に向います
バスで移動中 度々添乗員のMさんが我々にその地の美味しいものを
差し入れしてくださいました ツアーの料金に入ってません
なんと彼女の自腹なのです 朝の遅刻のお詫びというわけでなく
彼女は毎週受け持っているこのツアーで20何人もの日本人に
毎回振舞っているようです 
台湾人でしか知りえないご当地の味覚を味わえてとても嬉しいのですが
けっこうな金額になると思うのです 大丈夫ですかMさん・・

差し入れの中で特に美味しかったのは
日本には無い 台湾フルーツ 「シャカトウサン」 でした
残念ながら このシーズンは 台湾といえば・・な果実王
マンゴー様が無い時期で 少なからずガッカリ いや かなりガッカリでしたが
マンゴーの無い時期は変わりに「シャカトウサン」がシーズンなのでした

Mさん曰く
「シャカトウサン お釈迦様の頭のような見た目のフルーツ
 今がシーズン だけどMは皆のために
 ハウス栽培の美味しいの用意したよ 夜に行く市場にもシャカトウサン
 あるけど 全然味違うよ」
との事 いやはやありがたいです けっこう高いみたいですハウス物


さてシャカトウサン 美味しかったです 日本では味わったことの無い味です
しいて言えば ライチにパイナップルを掛け合わせた感じです
絶対日本でも流行ると思うのに何故に日本で売ってないのか謎です
この種・・持って帰って その辺の土手に植えてみたい(庭が無いから)
と チラと思いましたが お縄をいただくことになります
生の果物はおろか ドライフルーツで種のあるものも空港の検疫で
引っかかりますので 皆さんご注意を・・


Mさんがシャカトウサン シャカトウサンと連呼するので
シャカトウサンというサンも含めた名称 つまりは
アグネスチャン形式だと思ってましたが
車窓から見えた 道端の看板には (釈迦頭)と書いてありました
つまりはMさんは恐れ多くも釈迦と名のつく果物なので呼び捨てなど
できず敬称をつけているのです
アグネスチャン形式ではなく 大阪のおばちゃんの「あめちゃん」
形式だったのです そういえばMさんは大阪の大学に留学していた
そうです なんだか納得です


さて フルーツひとつで文字数を割いてしまった
そろそろ旅の記録らしい事を書いていきましょう


台南というところは鄭成功の時代 
台湾の首都だったところです
かつての都ということで奈良の友達です


まず赤嵌楼に行きました
原住民が暮らしていた南国の楽園台湾は
かつてオランダの植民地だった時がありました
(世界史で習った気がしますがものの見事に忘れていました)
以降Mさんがバス移動中で語ってくれたことです


オランダ統治時代 台湾各地にオランダ風の建物が作られたのですが
鄭成功がオランダを台湾から追い払って以降
嫌な思い出を焼き払うが如く
黒歴史のアルバムをビリビリに破くが如く
破壊されたそうです
ほとんど残ってないそうです 完全に残っているのは
同じく台南にある 紅毛城 だけだそうです
ここ赤嵌楼は 鄭成功当地後 オランダ城を壊して
台湾全島の最高行政機関になりました
今では わりとこじんまりした原色ながらにセピアな寺
ですが(どっちだ!)凄いところだったのです
オランダ痕跡の全破壊はどうにか免れ 石垣が残っております
全破壊に待ったをかけたのが日本人だそうです
たとえ黒歴史だからといって アルバムを総てを破棄してしまったら
結婚披露宴のとき流す己の歴史のスライドショー作れないですしね


Mさんふたたび曰く
「日本人 モノを大切にする とても良いこと おかげで今も残っている」
だそうです 
日本人 台湾の方々に
モノを大切にする良い人間だと思われてるみたいですよ
・・現代日本人いろいろ捨てまくってますが どうしよう・・

さて 今の建物は 城の建物はすっかり無くなり
変わりに寺院形式の建物が建ってます
中には 鄭成功を称えるコーナーがあり オランダ城時代の模型
などがありましたが写真撮ってなかったです しくじりました
Mさん曰く 鄭成功は3日でオランダに勝利したそうです
凄まじい・・鄭成功が強いんだか オランダが激弱いんだか
どっちにしろ 鄭成功はヒーローです

ここで取った写真です

面白屋根その壱


面白屋根その弐

唯一のオランダの記憶を思わせる 石垣とか建物全体を撮らずに
なんか細かいとこばかり撮って 自分本当にどうしようもない奴です


さて 続いてはこちらも鄭成功関連 
延平郡王祠です

台湾をオランダ人から取り戻した鄭成功を称える祠です
歴史は古いですが 日本統治下の時代は
鄭成功を神として祀る日本の神社の建物になっていたり
戦後 中華民国によって総て立て替えられたり などで 
現在は 色塗りたての真新しい
鉄筋コンクリート製の廟になっております


Mさん曰く
「表向きは台湾で開国の父として一番称えられているのは
 蒋介石になっているけど
 本当の所 台湾人が一番尊敬しているのは 鄭成功 」
だそうです


鄭成功 日本でも英雄として有名です
「国性爺合戦」という浄瑠璃になったり歌舞伎になったり
江戸っ子をキャーキャー言わせておりました


世界史の教科書には載ってなかったと思いますが
なんと 鄭成功は 明の将軍 鄭芝龍と日本人の母 田川松
の間に生まれたハーフだったのです


そういうわけで 彼の御母堂 田川松さんの位牌も祀られておりました

しかし そこに歴史の謎が残されておりました


Mさん 曰く
「松さんの位牌 田川となっていて 鄭になっていない
それは 実は鄭芝龍と正式に結婚できなかったから
鄭芝龍は立派な武将でおまけに顔も超カッコよかった
結婚相手にもうしぶんない人 なのに
なぜか 松さんのお父さんが 結婚を大反対した
鄭成功が長崎で生まれたけど お父さん その子を
中国の鄭芝龍の所に返しに行った 鄭成功それ以来
お母さんの松さんと会えなかった」


とのこと なかなか悲しい話です
松の父が パーフェクトな男 鄭芝龍との結婚を
反対したことは 今でも理解不能な謎だそうです


しかしこの事実 中国の側としては相当面白くないわけで
(日本人が 何生意気に中国の超男前の縁談断ってるんだ!
 失礼な! 英雄である鄭成功の日本人母親だなんて歴史から抹殺
 してやる!)
・・となっても仕方なかったはずなんですが
なんと 松さん 別れさせられてずっと長崎に居たのですが
はるか向こうの大陸で鄭芝龍が亡くなった後
なんと後を追って自害されたのです!ヒィ!


(・・ありえない なんで夫が死んだ後妻が死ななきゃならないのだ
夫が死んだ後は 友達と旅行に行ったりフラダンス始めたりして
第二の人生謳歌するのが人の世の常だろう?)
と思うのは 私が現代人だからでしょうか


当時の夫を亡くした妻は 夫の後を追ったら立派な人だといわれ
一方その後も生きてた方は 後ろ指差されたそうです
そういうことで 松さんのこの気概に中国の人たちは心を打たれて
松さんを 鄭成功の母 として立派に祀ってくれることになったのです


松さんの似せ絵など展示してあったのに 写真撮って無かったです
またしてもしくじりました自分 アホタレが!


優しげな美人でした 夫も超男前ですし
鄭成功もそういうわけで精悍な男前だったそうです 
うんヒーローはやっぱ男前であってしかるべしですよ!
鄭成功 びっくりしたのが なんと38歳で亡くなっています
その若さで亡くなったのは惜しいと思いますが 
その若さで成し遂げたことの大きさにびっくりです
残念ながら 彼の子孫は絶えて居ないそうです 
そして 鄭成功が台湾に来たそもそもの目的は
清朝を倒し明朝を復興させるためでした
台湾を大陸反攻の拠点にしたのです
しかし 彼亡き後も悲願を果たすことは出来ませんでした 

その後 バスは高雄に向います


高雄は台湾第二の都市で 見所が沢山あるそうですが
なにせ時間が無い もう夕方 しかも次の日の朝には高雄を
出なければならないのです なんだかもったいないです


これが高雄の観光の目玉だ!奈良の大仏的立ち居地で存在しているのが
蓮池潭です


まるで 面白アミューズメントパークのような概観
そんでもって 中もそういうノリ しかし
ポップな造詣でも歴とした信仰の場でございます
龍から入って虎から出るのが決まりです
たぶん 逆流したら(信じられない!!!この罰当たり!)
な目で見られるでしょう 絶対やめましょう 




思わず撮ってしまった虎の尻
私はビビリなので 海外ではリュックサックを前抱きに
してキョロキョロして非常に挙動不審です
日本なら職質ものです 

池の上の寺までのアプローチする石橋は非常にジグザグしとりますが
これは 魔が入れないようにするためだそうです
魔はまっすぐにしか進めないそうです 
けっこう下等生物なのか・・ 魔は そんなのに負けたく無いものです

この蓮池潭・・蓮池いうのは名ばかりで ほとんど蓮が咲いてません
昔は一面に咲いていたそうなんですが 亀が増えて蓮を食ってしまったそうです
おそるべし 亀 人畜無害な顔をして・・
そういえば奈良の亀養殖地みたいになってる猿沢の池も蓮無いですね

その後 免税店へ行き 海鮮料理を食べに行き
六合路夜市へ行き
(凄い人ごみだったので Mさんは集合場所を
 豆腐ヨウの店の前に指定してくださった
 おかげで迷わなかったですが・・己に臭いが染み付いたような)

ホテルに向ったわけですが Mさん
「この後 高雄の愛河でクルージングおすすめよ!
行く人いる?」

・・・そんな余力が残っている人は誰一人としておらず


部屋にマッサージを呼ぶ人続出でした
最年少である我々も呼びました 足つぼと全身やって
日本円で3000円くらいだったと思います お得です
しかし 足つぼ初めてだったのですが 迂闊でした
私は極端に足の裏がこそばい人でした
なんだか自分との戦いでした

また続く・・
 

 

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台湾旅行記 日月潭

 今回も我々の想像の斜め上を行く 台湾人の親日っぷりが
炸裂します

さて 台中からバスで日月潭へ移動します

移動中で道路を見ていて驚いた事は
異様に原付が多いです事です
信号待ちの所では 原付軍二十台くらい集まってます
台湾の道路の支配者は車でなく原付です
我が物顔でブンブンぶっ飛ばしてます


Mさんいわく
「台湾に日本みたいな暴走族は居ないね
 なぜならば 皆暴走族だから
 もう酷い!
 会社通勤の女の子が 走りながら原付のサイドミラーで
 化粧する
 台湾は車のドライブ怖いね 楽しくない
 原付を避けるの必死」


なんと・・日本では 電車内で化粧する若い女はとんでもないと言われてましたが
台湾はさらに上の上を行ってます マナー云々もどうかと思いますが 
そのテクニックが凄いと思います 雑技団か! 
 

台中から一時間くらい走って日月潭着です

日月潭は 山の中の美しい湖で 台湾人も訪れるメジャーな観光地です
国内新婚旅行で訪れるカップル多しだそうです
日本なら箱根か宮崎でしょうか


さて この静かで美しい日月潭ですが
1999年のの台湾の大地震で一番大きな被害を受けたところです
今では災禍の後を思わすような所は無いようですが
震災前とでは なんと 山や湖の形が変わっているのです 
地形そのものが変わっていまうほど酷い災害だったのです



山頂に上って湖を見下ろす さわやかなロケーションに
玄奘寺 があります

50年ほどまえに玄奘さまの遺骨を祀るために建立され
地震のときに激しく壊れましたが
すっかり綺麗に立て直してありました
この再建の時に 日本が援助したそうです
ありがたいと台湾の方はおっしゃりますが
寺の成り立ちからしますと 助けて当然じゃないかと思われます・・
それは・・ 


Mさん曰く
「玄奘寺 名前のとおり玄奘さまが祀られているお寺だけど
 残念ながら実は今 肝心なものが無いね
 玄奘様の遺骨を祀るためのお寺なのだけれど
 1999年の地震のときお寺壊れて 
 それ以来遺骨 公開されてないね
 修理中ということになってるけど おかしいね
 ずっと公開されない
 実際の所遺骨・・無くなったんじゃないかと言われてるね
 
 昔 日中戦争中 日本軍が中国本土の南京で
 玄奘さまのお骨を見つけて 持ってかえって それから
 日本のさいたまの慈恩寺 中国の南京(さらに分骨)
 台湾に分骨してくれて このお寺出来たね

 無くなった遺骨 ほんと何処に行ったのかわからない
 裏でこっそり中国に返されたのかとも言われているけど
 本当に謎」



!・・私 玄奘様の遺骨が日本にあることさえ知りませんでした
あとで調べたら 埼玉の慈恩寺からさらに分骨されて
お近くの奈良薬師寺にもあることがわかりました 

そんな近代の戦時中に 中国の高名な僧である玄奘様の
遺骨を日本が持っていってしまっていたのです
分骨して中国に返したとはいえ 分・・ですし
もともと中国にあった中国人のお坊様だし
なんだか申し訳ない気持ちになりました
台湾に返してあげるなり 再度分骨したりしたらいいのに
と 個人的に思います
それにしても 玄奘様 日中戦争以来どんどん
細かくバラバラになって行きます 今では13に分かれている
そうです 
しかしバラバラというより分身して世界に広がっている!・・
と考えれば心穏やかです


はい で
この玄奘寺で
戦争の爪あと とか 戦時下の日本とか 考えて
悶・・となりながらも
次の有名寺 文武廟に到着です


日月潭イチの観光スポットです
非常に派手で生き生きとしたお寺・・いや廟です


まず 目に付いたのは 巨大な生き生きした獅子です
かなり大きいです 隣に立てばよかった・・


台湾では同じような豪華絢爛な建物で同一視しがちですか
お寺 と廟 は違います
お寺は日本と同じように 仏教系 仏様がいます
廟は実在した(と思われる)神になった偉い人の霊を祀っております


台湾人気ナンバーワン礼拝対象は
先ごろ紹介した宝覚寺のような布袋様さまです
布袋様に触ると自身のその部分が良くなるそうです
日本で言う賓頭盧尊者でしょうか
私 頭をがっつり触らせていただきまいた


その次に人気の礼拝対象は
孔子様 と 三国志でおなじみの関羽様です


文武廟は その人気ツインを一度に拝むことの出来る夢の廟なのです
文が孔子様 武が武将である関羽様です


しかし意外にも関羽様は商売繁盛の神さまなのです
Mさん曰く 「関羽様は初めてそろばん使った人」
だそうです
そうだったのか関羽様凄いな 知らなかった・・
このツアー いろいろ勉強になります 修学旅行です


Mさん曰く
「ここにきたら いいお土産があるよ
 関羽様のお金 ここでしか売ってない
 これ関羽様からお金借りるという意味
 財布に入れてお守りにしておくとお金持になるよ
 これ本当にご利益あるよ! 
 日本のお客さん 帰国後 Mに この関羽様のお金
 もっと欲しくなったから 送って欲しいと頼んでくるよ」


なんと・・!ヒャッホウ!これは欲しい!
どうしよう 之を買ったら金持になってしまうよ自分!


俄然買う気になりましたが
フト 思い出すビーブッダのお客様のお声〜


(ビーブッダさんは金持になったらいけませんよ〜
 金持になったら面白く無くなりますよ
 必死だからいいんです)


・・・ううむ この言葉は正しい
ビーブッダは永田農法のトマトでなければ
もう ビーブッダでは無くなるのです
 うん 切ないけど買うの辞めよう


と諦めましたが
貧しい友人 あの子 この子 あいつ・・(沢山居るわ ・・類友か)
に買ってあげれば良かったです すまん貧友


さて 文武廟に入ります
玄奘寺よりさらにゴージャス 
まるでテーマパークのようなわくわく感のあるところです
軒の装飾までつぶさに見たいところですがいかんせん
ツアーゆえ時間が無い!無念です
 

Mさんの説明を聞きながら 流れるように見学です


台湾にも おみくじ というものがありまして
Mさんが引き方を教えてくれましたが
この おみくじの引き方が凄い・・


まず 
●お線香とフルーツやお菓子を神にお供えして
(お線香がご飯 フルーツ等がデザートだそうです)

●お賽銭を入れ 心の中で
 自分の名前 生年月日 住所を言います
 (なるほど神様だって住所がわからんかったら幸せお届けしようが無いですね)

●おみくじ引いても宜しいですか?とお願いしながら 
 耳を模した道具を投げ ちゃんと二つ耳が裏になったりせず並んだら
 おみくじがひける チャレンジは3回まで
 三回投げても駄目だったら
 神様は聞く耳を持たないという事です 今日はあきらめましょう!

●筒から番号の書いてある籤が出てくるのは日本と同じ
 しかし・・また 神様の耳登場!
 神様に 32番ですが いただいて宜しいですか?
 とお願いしながら耳を投げ またチャレンジ3回まで
 駄目だったら ・・諦めましょう 此処まで来て非常に残念ですが
 神さまが聞いてくれないのですから仕方ないのです!

● で 幸運にも神の耳がちゃんと並んだかたは
  ようやく御神籤がいただけるのです ありがたや 良くがんばりました


というわけで御神籤引くまでに幾多のハードルが・・ああめんどくさっ!
日本なんて100円だかホイといれたらホイと貰えるのに
しかし御神籤 神さまのお声なのですから
そんなに簡単にひけてはいかんのです 台湾式のがありがたさも
増すような気がいたします


この御神籤のひきかた
記憶力には極めて自信の無い 逆稗田阿礼である自分の記憶ですから
正確ではないと思います ただもっと簡単であったという事は絶対に
無く もっと工程多かった気がします・・

 

さて 文武廟ですが
1938年に完成し その後、1969年から1975年にかけて全面修築が行われました
しかし この廟も1999の地震で酷く壊れてしまったのです
ここの廟も日本が多大な援助をしたそうで 今は新築ピカピカです
大変にありがたい と台湾の方は申しますが
また(そりゃ 援助も当然だろ)と思ってしまうエピソードが・・


(台湾では 基本故宮博物院の中以外は撮影オッケーだそうです)
さて この立派な歴史ありげな孔子像
実は複製品なのです・・


Mさんいわく
「もともと本物はは中国にあったのだけど
戦時中に日本軍が持って行って
今は日本の狭山の不動寺にあるよ 
だけど 戦後に複製品作って台湾にくれた ありがたいよ」


ええええ!?いいの それでありがたがって?!!
すみません すみません
と思いましたが


Mさんいわく
「日本人ものをとても大切にする それはとても良いこと」


・・だそうです
確かに孔子像がそのまま大陸にあったら
文化大革命で破壊されてたかもしれません
それぐらいなら 日本に持ってかれて大事にされてたほうが
マシだという事でしょうか


しかし・・まあ いいのでしょうか?
孔子人気は日本より台湾のがずっと上なのに
日本にあっていいのか?
日本で孔子様礼拝してる方あまり居ないような・・


そんな凄い像なのに 存在をあまり知られてないと思います
私も全く知らなかったし


レプリカで台湾人に感謝されちゃってなんだか心が痛いです
うん 寺の復興に日本人が力を貸して当然な気がします


さてこの廟の立地は山の傾斜を利用した三殿形式です
前殿は文昌帝君を祀り。
中殿武聖殿は関聖帝君(関羽)および岳武穆王を祀り
後殿大成殿は至聖先師孔子を祀っておられます

とにかく どこもかしこも
キンキラキンでゴージャスです


こちら美しさに思わず撮影した天蓋です


関羽様の像 顔が真っ赤でしたが 
なぜかというと
Mさん曰く
「関羽さま 友人に裏切られて怒り狂って死んだね
だから 顔真っ赤」
だそうです・・・よりにもよって長い人生でそんな場面を
抜き取られ礼拝像にされてしまった関羽さま 不憫


さて 関羽さまは商売繁盛の神さまですし
私も参りしましょう という事で お賽銭を入れて
名前 住所 生年月日を念じてお参りしました


・・その後気が付いてしまったのです バスの中で!
数字が駄目な私は 日本円と台湾元の変換計算がわかっておらず
なんとなく500元札入れたのですが
それは日本円でいう1500円相当だったのです
そんな・・ 法隆寺の拝観料より入れてしまったし!
自分ケチだから今回の旅行で2万円しか換金してないのに!
(本当にケチだな)
やっちまった うあああ と関羽のように悶えましたが


Mさんがおっしゃっておりました
「文武廟 日本に恩返しのために 3月末まで
お賽銭全部 東北に送るよ」


ということは 東北の義捐金になったと思えばいいか
自分を納得させました
Mさんなんて300万円送ってることを思えば
なんてはした金でしょう 


それにしても 台湾のお寺がお賽銭を全額東北に送っている
だなんて 全然日本の報道は国民に知らせてないですよね
全然知らなかったです
凄い話だと思いますが何ででしょう
本当にありがたい話です 
台湾の人は恩返しとおっしゃってますが もう100倍返しくらい
してると思います


続く 
恐ろしいことにこれ 旅行の2日目ですよ
旅行記いつ終わるんだろう・・

 

 


 

| 文六 | 10:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
台湾旅行記 台中

 先日書いた台湾旅行記の続きです


12日の朝 バスの中で私達は出発を待っていましたが
定刻になっても出発せず

それは なんと添乗員さんのMさんが来ていないからで・・

当初は
「アハハ これはMちゃんに罰金払ってもらわないといかんなあ」
と笑っていた我々ですが
5分過ぎ・・となってきたあたりから深刻になってざわざわしてきました

どうしよう
右も左もわからない我々 しょっぱなから異国に放り出され
添乗員さんが居なかったら帰国すらままならない・・
てゆうか まだ観光地ひとつも巡ってないぞ

ですが ようやくMさん登場
非常に焦って登場 
何かアクシデントがあったのかと思いましたが
フツウに寝坊でした 
ホテルからのモーニングコールが無かったとのことです

平謝りされました まあ当然だな と思ってたのですが
その寝坊の理由が・・なんと

11日 台湾のテレビで
(日本の東北大地震 あれから一年)という特集番組が大々的にやって
いたのです 私もチラッと見て
何故にこんなに一年前の他所の国の地震を大きく取上げるのだろう
とびっくりしておりました
Mさんは復興の進んで無さに衝撃を受け
夜中の3時まで泣きながらそれを見ていたそうです・・
 
そ・・んな 「移動疲れたー」 とぐっすり寝ていた我々日本人は一体・・
そもそも11日に日本出て旅行に行ったりしている我々って

さらにMさんは その番組を見て
100万元寄付したそうです!
ええと 100万元というと日本円でだいたい300まんえん・・・

日本人でも個人でそんだけ出してる人は あまり居ないでしょう
さ 三百万円・・・日本でもものすごい大金です
物価の安い台湾においてでしたらその金額の価値といったらもう・・
たとえMさんが台湾で高給取りだとしても それでも
簡単にホイと捻出できる金額ではないと思います

震災の後 真っ先にレスキュー隊を派遣してくれて
(なのに日本政府はその真心を!!このアホが!)
大きさは九州程度 人口は九州の2倍程度の小さい国なのに
どの国よりも沢山の義捐金を
しかも政府が税金でじゃなくて各個人の善意で日本に送ってくれた
台湾人の心意気をリアルに感じました

台湾が親日というのは知ってましたが まさか此処までとは。・・

まあとにかく 
そんなMさんの遅刻を ましてや 罰金だ!なんて咎める事の出来る
日本人はおりません Mさんありがとう 

バスは宝覚寺に向ってレッツゴーです

さて宝覚寺 ガイドブックなどでは
巨大金ピカ布袋像の写真が掲載され
ノリの軽い面白寺・・というイメージですが

実際行ってみますと
なんだか 不思議な作りの本堂に目が行きます

人と比べてください かなり大きいです!

左右は象の像で
よく見たら中央に黒い犬がいます
台湾では 放し飼いの犬がフッツウに飄々と歩いていました
大人しいですが日本人の感覚からするとちょっとビックリです

石造りの壮大な建物の中に 木で出来た本堂が入ってます
これが台湾の寺スタイルなのか? と思いましたが
Mさんが詳しく説明してくださいました

そこには 海より深い台湾の親日エピソードが・・・!

このお寺 実は日本人にとても縁のあるお寺なのです


日本の台湾併合時代より前から日本人の中に
台湾に移り住み
居心地が良いので台湾に骨を埋めた方が沢山居られるのです
其の方々のお墓

それと 併合時代以降に台湾に住んでいた日本人の方々のお墓

それと 第二次世界大戦で 日本軍として戦い無くなった
大勢の台湾人の兵士の方々
(そんな方が居られることすら私は知りませんでした・・)
その方々をお祀りするお寺なのでした 
金の布袋さまに幻惑されましたが そんな深いお寺だったのです


日本風の菩薩様やお地蔵様がいらっしゃいました

そのような日本に縁のあるお寺なので
本堂は日本の法隆寺の宮大工さんが建てたものなのです
ところが 台風の被害にあって 半壊してしまい
それを守るために 石製の壮大なお堂を囲むように建ててくれたのです
守るためにそこまでしてくれるだなんて嬉しいことです

で 守るといえば 金の布袋様

実はこの ちょっと日本には無いセンスのファンキーな金の布袋様
日本人のお墓を守ってくださっているのです

このお寺に膨大な日本人のお墓がありますが
台湾政府から
日本人のお墓を大事に守る寺なんて けしからん!!
と目をつけられてしまったのです

そこで 台湾の人々は 仲良く暮らしていた日本人のお墓を守るために
異様に目立つ金の布袋様をドーンと建て
(はい この寺 日本人のお墓の寺じゃなくて金の布袋様のお寺ですよ!)
と非常に金と労力をかけてカモフラージュしてくださったのです
そういうわけで 表向きはこの宝覚寺は金の布袋様のお寺で有名なのです

Mさんいわく
「それでも 政府が何か言ってきたら
 隣のマンションの土地買い上げて 今度は巨大な観音様建てる計画ある!」
・・・

なんで日本人のお墓のためにそこまで・・
ありがたいを通り越していたたまれなくさえなってきました
なんでそんなに優しいのか台湾人 

続く

 

| 文六 | 10:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
台湾旅行記 序章

 3月中旬に台湾に行ってまいりました
帰国後咳が出るとかなんだかんだで書くタイミングを失って
随分経ち・・
なんだかもう 書かないでいっか だるい
という気分にさえなってきてましたが・・

イカンです! 書かねば
物忘れの激しい私の記憶がまっさらになってしまう前に!
 台湾様へ恩を報いるためにも ちょっとでも台湾のよさを
ビーブッダなりに伝道しなければ人でなしです
怠惰な自分を叱咤しつつ 書かせていただきます

咳なんですが結核患者を思わせるような大げさな感じで
ビビッて身辺整理しかけましたが サナトリウムってどんなだろう
とか考えたりしつつ・・ですが
病院で調べたところただのアレルギーでした 良かったです
がつまりは花粉症発祥したということですね ハア


台湾ですが 5泊6日のバスを中心にして台湾島をぐるっと回る
という欲張りツアーでございました このツアーにした決め手は
故宮博物院の見学時間が5時間も組まれていることでした
フツウは1時間から2時間しか入っていないのです


関西国際空港からチャイナエアラインで台北まで2時間50分です
庶民なのでもちろんエコノミークラスです
ジャンボ機は満席で 台湾人気を実感しました
機内食が思いのほか美味しくて期待は高まります
非常に食べやすい中華です
かつて中国と韓国に行ったことありますが台湾ダントツです
3か国中ですけどね


ドリンクサービスで 
昼間からビール飲んでやろう!!空中で飲酒する機会などなかなか
無いからな!やってやろう! と企んでましたが
隣の席の卒業旅行らしき若い女の子ズが
「オレンジジュースプリーズ」とか言ってたので
 なんだかうっかり流されて 「ミ ミートゥウ・・」とか言ってしまい
日本と台湾をつなぐ空中で悔やみ続けました

そういえば総勢20数名のバスツアーですが
他のメンバーはどういう年齢層なのでしょうか
こういう卒業旅行のヤングが一杯だったら
ついていけるのでしょうか 階段でゼエゼエ言ってる座りっぱなし
の仕事の人間が・・


台北の空港ロビーで同じ旅行会社のステッカーを貼った人々が
揃いました 平均年齢が私達の年の倍くらいでしょうか
自分の親世代で非常に安らぎを覚えました
これならば付いていけるでしょう
おまけに「あら!あなた達若いね!」なんて言ってくれるし
しかしまあ 若いねと言われて喜ぶのは 
実際のところ若くなくなってきた証だと思います


出迎えてくださった現地添乗員さんは Mさんという
40代の小柄で華奢ながらに異様に元気な女性
さすがに 日々 右も左もわからない日本人軍団を引率しているプロ
だけあってパワフルです 
一体この方の動力は何か?漢方かプラズマか・・?と思いつつ
我々はMさんに引かれてバスに乗り込み 一路台北から台中に向かいます

Mさん 非常に良くしゃべります
「台中の名物で ○陽餅あるけど あれまずい!買ったら後悔するね」
とか良心的に教えてくださいますが・・いいのか?観光地的に?


Mさん非常に親日でして(後で語ります)
日本人観光客に台湾に来て騙されたり損をして欲しくないと仰います
そういうわけで 熱心に○陽餅のまずさをアピール
しかし そこまで言われるとかえって気になります
どのようにまずいのか 今でも気になります 
自分そんなに気になるならば
買って後悔すればよかったかもしれません

台中に着いたら夜でして 一日目の台湾は中華を食べて寝るだけです

解散前 Mさん が仰いました
「明日の朝の集合時間に絶対遅刻しちゃ駄目よ 一人遅刻したら
皆が目的地に回れなくなるよ 遅刻したら罰金よ」


なるほどツアーというものは時間にシビアにならなければ
いけませんね うん気をつけよう!

それが3月11日の夜でした


そして12日の朝 
あんなに念を押して言われたのに
出発時間になっても
なかなか来ない人が居まして・・その人はなんと

続く
 

| 文六 | 10:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

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